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2021年8月26日 (木)

田宮流伝承考(11完)

 田宮神剣流では最後の指南役である高橋筅次郎が良く知られています。
 筅次郎は西條藩剣術指南役の森惣兵衛の次男で高橋家に養子に出ました。幼いころから非凡な才能があり、父について剣術を修めたあと、長じて江戸に出、斎藤弥九郎、木藤利兵次、また筑後久留米藩津田一左衛門などに師事し、ことごとく皆伝を受け諸国遊歴して技を練磨し、西條藩だけでなく和歌山藩でも剣術を指南しました。名声四方に聞こえ他藩からも多くの者が指南を受けに来、二刀を使うので太鼓先生、今武蔵と称せられたといいます。廃藩後は京都府の要請を受けて剣道師として勤め、明治23年、59歳で没しています(西條町三百年記念号より)。
 以上、長々と長年気になっていた岡山藩、江戸市中並びに諸藩、西條藩における伝承について推測をまじえて考えてみました。小田原田宮流会は田宮流の歴史を研究する会ではなく、居合の形を稽古して居合刀術の修得を楽しむのが目的ですが、稽古をしている流派の成り立ちがわからないと、なにかもやもやして、何十年も稽古してきてこのままでいいのかという思いが小子の心の中にありました。新型コロナで稽古が十分できない暇をもてあまして国立国会図書館から岡山藩田宮流に関する資料のコピーを入手したのがきっかけで、自分の頭の中で解決していなかった事柄を考えてみた結果がこの「田宮流伝承考」です。疑問がすべて解決したわけではありませんが、自分としてはだいぶすっきりしました。この項を書き進めるに当たりご指導いただいた居合文化研究会森林健一氏に感謝し、氏の田宮流研究の発展を祈念したいと思います。
青玄子

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コメント

青玄子先生

「田宮流伝承考」を一通り拝読させて頂きました。
記事中たびたび拙生の活動に言及頂き、大変恐縮しております。

各記事の内容については愚見とは意を異にする部分もございますが、田宮流の歴史に関して史料に基づいた調査がほとんど見られない現状にとって、大変意義深い記事であると考えます。
この度の先生の記事をきっかけに、多くの方に田宮流史・居合史に関心を持っていただき、それぞれが活発に意見を交換できるようになることを祈念いたします。
私もその一助となれるよう、折を見て愚見を発信していきたいと思います。

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