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2016年8月18日 (木)

なぜ刃を上にして帯刀する?

 太刀は刃を下にして佩き、刀は刃を上にして帯刀します。刃を上にして帯刀するのは抜き打ちしやすいからと、居合の稽古をはじめた当初先輩方から教わりました。しかしです。稽古が進んでわかったのですが、柄に手をかけてから敵を打つまでの時間を考えたら、刃を下に帯刀しておいて逆袈裟に抜き打つほうが断然早い。刃を上に帯刀するようになったのは抜き打ちしやすいからではなく別の理由があったのではないか、と小子は考えたのです。

大阪歴史博物館所蔵の「関ヶ原合戦図屏風」(通称津軽屏風)を見ますと、徳川家康をはじめ足軽にいたるまで全員が具足の腹帯に刃を下にして刀を差しています。大事な戦ですから抜きにくく刀を差すわけがない。この屏風からわかるのは戦国武士は刃が下のほうが抜きやすいと考えていたということ。ということは刃を上にして差すのは、居合の先輩方の言うこととは逆に刀を抜きにくくするためではないかと疑ったのです。

家康の配下に伏見彦太夫という武将がいました。彼は三尺五寸の大太刀を佩いていまして、接近戦では刀身の長いほうが戦闘に有利と家康に説明していました。松平甚兵衛信直がこれをまねて大太刀を佩くと、家康は、家柄すぐれた者が軽薄な挙動をしてはならぬ。今日の身なりは馬の口取りか槍持ちにしか見えない。どうみても大将には見えない。大将が進んで卑賤の者の身なりを真似るとはなにごとかときびしく叱った、という話があります。関ヶ原後も、長刀を刃を下にして差した無頼の牢人、かぶき者が鞘当して喧嘩することが市中で絶えなかった。それで、幕府は「道かたより候事」(武士は道の端を歩きなさい)、「路地にて行当り候共とかめ申間敷事」(道で鞘が当たっても喧嘩しないように)などというお触れを出しています。(河原由紀子氏の「江戸時代の服装に関する研究-刀剣規制を中心に」より)

家康は長刀が嫌いだった。天下を取ってからは争いごとのない世の中つくりを目指した。それで幕府は市中で鞘当などでもめ事が起きないように刀の長さを短めに決め、差し方もこじりが後ろにはねないように、また、とっさに抜きにくいように刃を上にと決めたのではないかと小子は推察しているのです。少なくとも、抜きやすいためではないと思う。抜きやすかったら居合術は発展しなかった。抜きにくいから居合術が工夫された。

それともう一つ。徳川家の剣術は柳生新陰流ですが、伝書の図を見ると、新陰流では刃を下にして帯に差します。もしかすると、刃を下にして刀を差すのは将軍家に限ったのかもしれません。将軍が帯刀するのは乗馬のときだけでしょ。乗馬の際、将軍は刃を下にして帯刀します。「刃を下にして刀を差すとは、その方、天下を狙うのか、そこに直れ!」バサッ!そんなことはないか。

 青玄子

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