膝送りは膝でする?爪立てた足先でする?

居合の稽古をはじめたころ、ある先輩の夢想神伝流「初発刀」と全剣連居合「前」の膝送りがほかの人と違い,なにか動きが多いと感じたことが記憶に残っています。今思うと、その先輩は膝頭で床をこすらずに爪立てた足先で膝送りをしていたんですね。
そのことに気づいたのは中山博道範士の演武映像を観てのことで、中山範士は膝をわずかに床から離して爪立てた足先で膝送りをしている。爪立てた足先で膝送りをすると、足先がそのまま移動しますので腰から下はすでに切り下ろし態勢が整っている。したがって、振りかぶり切り下ろしに余計な間が入らず、足先できちんと踏ん張れるので腰の力もしっかり切り下ろしにのってきます。
夢想神伝流、全剣連居合の演武をYouTubeに載せている方が多くおられますが、映像から判断する限り、ほとんどの方の膝送りは膝で床をこすっている。膝で膝送りをすると大方の人は爪立てた足先が一旦浮いて伸び、膝送りがすんだところで爪立てし直す。ですが、しっかり爪立てし直せるとはかぎりません。膝に意識が向いていれば、爪立てがおろそかになり後ろ足から踏ん張る力が抜けるおそれがあります。
どちらが膝送りの技として望ましいのか。中山博道範士がなぜ膝頭を浮かして膝送りしていたか研究する必要がありそうです。
青玄子

 

2024年3月 8日 (金)

黒田鉄山師のご逝去を悼む

黒田鉄山師が病魔に侵されているとは存じておりましたが、訃報に接しまことに惜しく心からご冥福をお祈りします。
小田原田宮流会で学ぶ居合術はさかのぼれば鉄山師の民弥流と同根と存じ、直接お会いしたことはありませんが、映像ならびに著作を通じて師から多くを学ばせていただきました。
以下に小子が大切な教えとして書き留めている師の言葉を記し感謝のしるしとします。

 

●居合とは抜くということに術技が集約されている武術である。
●太刀をあつかうとはどういうことなのか教えてくれるものが剣術であり居合術である。
●身体そのものを型の形に成型することが術をうる稽古なのだ。
●身体の不全を補っていくのが型稽古というもの。
●相手がどうのこうのではない。自分がその型の手順どおり正しく動けるかどうかが先決。
●型という「理論」を学んだからこそ、相手の不意の攻撃に対処できる。
●右手をつかえば確実に遅くなる、右手をつかえば斬りおとされる、ときびしく古人は戒めている。そこから居合術は出発したのだ。右手で前へ直接相手のいる方向へ太刀を抜き出す非を明確にした。
●型は実戦の雛形ではない。公理公約である。
●速いというだけで、その動きが見えるうちは、まだ居合の術技を得ていない証拠だ。型の理論を正しく理解していない。
●身体そのものの動きが速い剣と剣そのものが速いのとは本質的に大きな隔たりがある。
●人の動きが10行程のものを7、6、5行程へと詰めることが武術の修錬である。
●いついかなる時でも、型の公理公約通り動けた時、意識のない正中線が生まれる。
●右手で抜かずに右手で抜ける体捌きを型によって修錬していくのが居合術である。


青玄子合掌

2023年12月20日 (水)

のびのび形を演じるには―現代居合考

いまさら言うまでもないでしょうが、居合の形は居合の生命といわれる抜き放ちの技と、それにつづく振りかぶり、切り下ろし、突きをなど、必要な技をくりかえし稽古できるように、仮想の敵を相手にした擬闘や組み太刀として仕立てられたものです。ですから、形には、技と闘いのストーリーがワンセットになっているのですが、昨今、小子の見るかぎり、居合演武はこの擬闘の表現により重きが置かれていて、そのために技がややないがしろにされているように感じます。
一番の原因は、試合が定着し居合がスポーツ化していることでしょう。試合の勝敗は演武のできばえで判定されます。演武のできばえということになると演じる回数の多い切り下ろしがめだちますから、試合に勝つには切り下ろしが上手にならねばと、どうしても思うようになります。それでスポーツ化のよろしくない結果として、切り下ろしを立派にみせようとしてか、手の内ができていなくとも速く振れて樋音がよく出る軽い真剣、模擬刀が好まれるという風潮がひろまっています。
切り下ろしの良し悪しが試合判定に大きく影響することについては、かつて箱根八段戦の折に、故佐川博男範士が大会後の懇親会で「切り下ろしのりっぱな人は得ですね」とつぶやくように皮肉られたのを思い出しますし、日本刀は折れず曲がらずよく切れるといわれていますが、こんにち居合で使われている真剣のうち、その評価に値する特性を備えているのがどれほどあるのかはなはだ疑問です。
時代が変わればいろんなものが変わるから居合も例外ではない、なにせ五百年も前に生まれているのであるから、こんにち居合という武道のあり方や使う道具が以前と変わっていても不思議はないといわれれば、それまでですが、それにしても、最近の居合の変わりようについては納得のいかないことが多い。
理由として考えられのは、窪田清音がいうように各道場の師匠の癖、思いこみがはいりこみ、それが道場でつたえられてゆくからでしょうが、こんにち、もっとも大きく急激な影響をあたえているのは流派内の動きというよりも全剣連居合の普及という外部からの影響でしょう。全剣連の昇段審査で六七段はすべて全剣連居合の演武となりましたし、くわえて八段二次審査も古流から全剣連居合に変更されました。以前は古流と全剣連居合は並存していましたが、いまでは全剣連居合一辺倒です。
その全剣連居合は、試合、審査の判定をしやすくするためでしょう、決まりごとが多い。その決まりごとを守ろうとするので演武がかたくるしい。古流はほそぼそと全日本居合道大会、学連の大会で二本採用されていますが、演武を映像で拝見すると演者は上体をつねに床に対して垂直に保もち、動きがまるで体に合わない窮屈な既製のユニフォームでも着ているようにぎこちなく、古流だか全剣連居合だかわからなくなっています。総じて躍動感のない画一的な几帳面な演武で個性が感じられません。
なぜそうなるのか。
全剣連居合および傘下の団体では講習会や道場で模範演武を見せ解説書の説明どおりの所作をおぼえるようにくりかえし指導しています。いくどもこういう指導を受けていると無意識のうちに、ぬり絵で線から色がはみださないよう気をつかうように、高さや方向、角度などこまかい決まりごとからはみださないように気をつけて稽古するようになります。そういう稽古を重ねていれば、自然、形にはまった窮屈な居合が身についてしまいます。その窮屈さが古流にも伝染しているのです。故福井清市範士は、古流に全剣連居合を入れるな、全剣連居合に古流を入れるな、二つは別物である、現代人から見て姿勢が多少悪くとも古流ではぐっと腰を落とした切り下ろしでいいではないかなどとたびたび訓じていましたが、全剣連居合がこれだけ力を持つと、全剣連居合優位で両居合の混同が進む流れはもはやとめることができなくなっています。
小田原田宮流でもこの混同はみとめられます。もっと体を柔軟にのびのび使って欲しいと願うのですが、全剣連居合で身についた几帳面な固い所作から抜けだすのは容易ではないようです。どうやったら抜け出せるか。その解決には形にたいする意識を変える必要があると思います。
形を自分の外側にある既成の実体としてとらえている人が多い。実はそういう人も、所作(技)や所作の順序やそのほかの決めごとと模範演武の記憶から動き全体を自分でイメージし、頭の中で形を作りあげているのです。つまり、形は自分の外側にある既成の実体ではなく、一人ひとりの頭のなかにあるのです。ですから、あたりまえのことですが、稽古が終われば形は各自のなかにしまい込まれ、道場のどこにも残らないのです。形は自分のものである。技が自分のものであることをわかっていても、このことに気づかない人が多い。これに気づけば、形は既製品ではなく、一人ひとりが自分の技前に合わせて逐次自分自身で仕立てる、いわば特注品であるという思いにいたるでしょう。形を演じるのではなく演じたのが形である。形にたいする意識の逆転です。このような思いにいたれば既製品に自分を合わせるようとする窮屈な稽古から解放されてのびのびした稽古ができるのではないでしょうか。
形にたいする意識が変わったら、なにはさておき、先人がのこしてくれた技をひたすら探求する稽古でいい汗をかきましょうよ。そのうちに、他人目に良く映る演武をしようなどという煩悩はどこかに消えてしまいます。

青玄子

2023年10月11日 (水)

いま読む武道歌10(完)-よしあしと思ふ心

「よしあしと思ふ心をかり捨よ かれはてぬれば実(まこと)しらなん」

この歌は長沼国郷の伊呂波(いろは)理歌の「よ」の歌です。国郷は江戸中期に活躍した剣士で、その剣流は松本備前守を祖とし、国郷の父・山田光徳から直心影流を名乗りました。この流派からは江戸後期から明治にかけて萩原連之助、男谷精一郎、島田虎之助、榊原鍵吉、山田次朗吉など今日よくその名を耳にする著名な剣士が出ています。
歌はこういうことでしょう。上手下手がわかる、良し悪しがわかるという慢心の葦原を刈ってしまえ。慢心の葦原が枯れてなくなれば、本当の剣の道がみえてくる。
剣からはなれてこの歌を読めば、思い上がりや慢心は、本人自身のことも含めて、ものごとの本当のところを見えなくするということになりますかね。それにしても、人間という生きものは他人より上に立ちたがるようで、つい上から目線で物を言ってしまう。自分は正しいと思っている。小子もふくめてそういう人は多い。人によっては悪気があるわけではないんでしょうが、たしかにそれは慢心です。
仏陀がこう言っていたそうです。「<おれがいるのだ>という慢心を制することは実に最上の楽しみである」。身のほどを知ることはなにごとにつけ見通しを良くし、人生に大きな喜びをもたらしてくれるのかもしれませんね。

青玄子

「いま読む武道歌」で採用した十篇の歌は
「武道歌撰集上巻 今村嘉雄 第一書房 1989年発行」
より拝借しました。ここにお礼申し上げます。
同書は先人の「極意の宝石箱」と例えるにふさわしい書物で、
是非、お目通しをお勧めします。

2023年10月 4日 (水)

いま読む武道歌9-極楽へゆかんと思ふ心

「極楽へゆかんと思ふ心にぞ 地ごくへおつるはじめなりけり」

これも柳生十兵衛三厳の道歌です。十兵衛の代表作「月之抄」にあります。剣術家は、勝ちを極楽、負けを地獄とよく表現します。ですからこの歌は勝とうとばかり思えば、そのことに気がいって隙ができ負けてしまうぞとの戒めです。
むかし、剣術家はなべて、勝つことばかり考えて姑息な稽古をする弟子を諫めています。勝って負けてを繰り返すことでよい技が身についてゆく。負けることも良い稽古。そうやってこつこつ技を積み重ねてゆくことで道に達することができるというわけです。
偉そうな言いかたを許していただければ、人生も同じことがいえるでしょう。今日人生90年、いや100年、良いこと(極楽)ばかりじゃない。だれだって一度や二度の失敗(地獄)はある。それがあるから浮ついた気持ちがあらたまってちょっとやそっとじゃぐらつかない堅牢な生き方が身についてゆく。失敗して苦しむ。若いうちはそれでいいんですよ。晩年のしくじりは挽回しずらいでしょうけど。
とはいえ、人間みな楽して勝ち組になりたい。そこで、昔も今も楽に金もうけしようと思って、宝くじ、パチンコ、競輪競馬などギャンブルに走る人がいます。一度でも大勝ちしていい思いをするともう足が抜けない。いい思いよもう一度ということで、倍賭けをつづけて気がついたら身代をすっかりすったなどという話はざらにあります。わかっちゃいるけどやめられないのが人間なんですね。よく言うように勝つと思うな思えば負けよです。勝つことに専心するのは用心用心。居合も形演武比べの試合で勝つことを目標にすると自在に自分のからだを使うことから離れていって機械的な動きになってしまい、ほんらい目指す道がわからなくなります。

青玄子

2023年9月27日 (水)

いま読む武道歌8-桜木をくだきてみれば

「桜木をくだきてみれば色もなし 花をば春のそらやしるらん」

柳生十兵衛三厳の代表作「武蔵野」にある道歌です。桜の木を割ってみても花の姿は木のどこにもないが、春になればちゃんと花が咲く、と詠っています。
有って無きもの、無くて有るもの。それっていったい何?っていうことになりますが、十兵衛が「花」と詠っているのは柳生新陰流の技と沢庵の教えである不動智が一つになった剣禅一如の極意の「剣技」かもしれません。これだといって見せることも手渡しすることもできないが、たしかにある、と。また、弟子に対し、いまは達していない(色もなし)が、稽古を極めれば達することができる(春のそらやしるらん)、ということかもしれません。あるいは、十兵衛は沢庵から禅の影響を強く受けていますので、桜の木は花を咲かそうと思って咲かせてはいない。春になると花が咲く。ただ、それだけのこと。なんら計らいのない無心の境地そのものを剣の極意として詠ったものかもしれません。
テレビ番組で見たのですが、山奥に一人で住まう87歳の小柄な老女が柄の長い重い薪割斧をふるって冬の燃料用に太い丸木をスパッ、スパッといとも軽々と割っていました。腰のやや曲がった老女のどこにそんな力があるんでしょう。また、その老女は栗を求めてクマの出る山奥に道のない急坂をスタスタ登ってゆく。「クマは怖いが栗が食べたい」と素直に語る。自分のしようと思うことを余計なことは考えずに無心に行う。老女の一途で力強い行動に感銘をうけました。
人間の本当の力って、手足の隆々たる筋肉が生むのではなく、目にすることはできないがテレビの老女のように人間が本来もっている生命力の鍛錬から生まれるのではないでしょうかね。

青玄子

2023年9月20日 (水)

いま読む武道歌7-心こそ心まよはす

「心こそ心まよはす心なれ 心に心こゝろゆるすな」

これは沢庵禅師が柳生宗矩に請われて書いた「不動智」という禅宗から見た剣の教えの書にある歌(作者については一説に北条時頼)です。
さて、「不動智」ですが、真剣勝負の時代の剣術では技より心が上でした。どんなに道場でよい技ができても、いざ真剣勝負となったとき、心が臆しては勝てませんし逸っても勝てません。そこで沢庵はいかなる状況下にあっても応じられる心、すなわち「不動智」という教えを柳生に残したのです。
たとえば、複数の敵に対したとき、一人の敵に心が留まってしまえば隙が出てほかの敵に討たれてしまう。ああしようこうしようと思うとそこに心が留まり、ほかに心が向かなくなるからです。そういう動きをしない心、かといって動かないのではなく、どこか一か所に行きっぱなしにならずに万遍なく動いて全身に行きわたる心、いいかえれば、なんら計らいのない心、すなわち無心ですね、この心で技をくり出すのが不動智の教えで、これを書きものにして宗矩に伝えた。
沢庵は不動智の末尾で将軍のまじかにつかえる忠臣のありかたを論じ、宗矩が能舞に興じ上手をおごり諸大名に勧めたり、また、親交のある大名ばかりを将軍家光に強くとりなすのをいさめ、その締めくくりにこの歌をつかっています。おごり高ぶったり、自分をちやほやする者をひいきするのは心の迷い、病であると。心迷わされて油断するな、お前の心は妙なところに行ったきりで隙があるよと諭しているんですね。
私は若いころパニック症の気があって電車に乗るのが怖い時期がありました。かかりつけの医師に相談したところ、この病気じゃ死なないといわれて治った経験があります。医師の言葉でそこに行っていた心がふっとはなれて、どこか知りませんが、もどったんですね。それからはパニックになりかけても、これでは死なないと自分に言い聞かすと気持ちが落ち着いてパニックにならないようになりました。不思議ですね、心って。
余談ですが、このまえ、一軒だけ寄って飲もうと横浜の野毛にいきました。ところが梯子がはじまってとまらず、終電に乗り遅れてタクシーで帰宅。財布に金がなくなっていたのでカード払い。使用明細が届いて妻にばれて絞られました。心は不思議、心は弱い、心は迷う、妻は怖い。

青玄子

2023年9月13日 (水)

いま読む武道歌6-心ゆるすな山桜

「折得ても心ゆるすな山桜 さそふ嵐に散りもこそすれ」

これは神陰流・上泉信綱の道歌です。勝ったと思って油断するな、相手が反撃に出るかもしれぬぞ、勝って兜の緒を締めよ、というわけです。あるいは、上手になったからといって稽古を怠るな。怠ればすぐに技が落ちるぞ。
運動能力を見せて、この通り健康ですと自慢する人がいます。どんなに健康な人でも老いには勝てませんし、いつ病気にならないとも限りません。それに、健康自慢は病気に苦しんでいる人にたいする思いやりにかけます。
ある高齢のタレントさんがサプリメントのテレビCMで健康自慢していました。よせばいいのになぁと思っていたら、病いで倒れました。そうなんです。年老いての健康自慢はしない方がいいのです。年寄りだけではありません。なべて健康に油断は禁物です。
金持ち自慢も感心しません。豪邸や高額な持ち物を見せびらかす人がよくテレビに出てきます。盗人(ぬすっと)にはありがたい情報でしょう。油断すれば被害にかからないとも限りません。時節が変われば落ちぶれる人もなかにはいるでしょう。事業が発展して社屋を立派に建て替えた途端に景況が変わって倒産したという例は産業界にいくらもあります。今日の繁栄が明日に続くとは限らないのです。
他人より優れたところがあっても、それを表に出さず、その幸いを感謝しつつじっとかみしめ、余裕があればそっと他人におすそ分けし生きていくのが良いと考えます。
妻と話しているとき、自分ではそう思ってはいないと思うのですが、ときどき、「それって自慢?」といわれることがあります。自分でも気がつかない隠れ自慢があります。気をつけなきゃ。

青玄子

2023年9月 6日 (水)

いま読む武道歌5-敵をただ打つと思ふな

「敵をただ打つと思ふな身を守れ おのづから漏る賤(しづ)が屋の月」

千葉周作の北辰一刀流の中目録免許にのっている道歌です。敵を打ち負かすことことばかり考えて逸(はや)らず、まずは打たれないように自分の身を守れ。そのうちに相手の心が動いて見えるようになる。勝負はそれからだ、ということでしょうか。あるいは、打とう打とうとばかり思っていると相手に心を読まれて打たれるぞ、かもしれません。最近は試合ばやりで居合術がスポーツ化しているからでしょうか、所作の速さ、強さ、大きさなど見た目に心奪われて隙だらけで、自分を守る心構えが忘れられている演武が多いようです。
敵を知れ、という言葉があります。むやみに攻めても敵の手の内が読めなければ負けるぞという警告です。大相撲がまもなくはじまりますが、立合いで相手力士がいっしゅん横に変わって、攻めていった力士が前のめりに土俵に手をついて負けるのをよく見かけます。力士は仕切りのあいだに集中し、あわせて相手の心を読むんでしょうが、集中しすぎて自分の作戦にばかり頭を使っていると相手に心が読まれるんでしょうね。
心を読むということは勝負の世界だけでなくあらゆる人間関係の上で欠かせないでしょう。人生のしくじりの大半は心が読めないことに起因しているかもしれません。
熟年離婚もそのしくじりの一つかな。私自身は・・・・・たぶんだいじょうぶ。

青玄子

2023年8月30日 (水)

いま読む武道歌4ー明日ありと思ふ心

「明日ありと思ふ心に怠りて 今日いたづらに送る世の中」

この道歌は一刀流兵法至極百首(溝口派)にある歌で、作者は和田与兵衛重郷。明日があるさと油断して今日の稽古をないがしろにするのが世の常。明日になればまた明日があるさと思う。そんなことではいつまでたっても剣の道に達しないぞ、という戒めでしょう。
武士には本来「明日」という考えはなかったのではないでしょうか。一朝事あれば即、主君に身命をささげる。したがって、日々、非常を常として過ごす、つまり常に戦(いくさ=非常)の準備が整っているのが武士の習い。しかし、この歌が詠われたときには関が原の合戦から100年少々たっていますから武士も極楽トンボが多かったんでしょうね。
しかし、明日ありと思う心は、怠けの言いわけに使うのはいただけませんが、かならずしも悪い心がまえとは言えないでしょう。前向きな心がまえであれば大いによろしいのではないでしょうか。
新川二郎さんの歌「東京の灯よいつまでも」(作詞 藤間哲郎 作曲 佐伯としを)の中に「すぐに忘れる 昨日もあろう あすを夢みる 昨日もあろう」という言葉があります。昭和39年の東京オリンピックにあわせて、思うような結果を残せなかった選手を思いやる言葉でしょうが、明日ありと思う心はスポーツにかぎらず人生のあらゆる局面で挫折をのりこえる力になってくれるのではないでしょうか。
昔の話になりますが、小子はウエイト・トレーニングで椎間板を傷め、激しい痛みに悩まされたことがあります。当時、椎間板ヘルニアの手術は難しいとされていて、絶望的だったのですが、スポーツ医のアドバイスにしたがって生活し、8カ月ほどで突然痛みから解放されました。そのあいだ、幸いなことにあきらめるという気はおきませんでした。「これからどうなるって。心配するな、なんとかなる」(一休さんの言葉のようです)。明日は治る、明日は治る。そんな気持ちに支えられて一日一日過ごしたように思います。
いま、悩み苦しみを抱えている方、明日ありと思う前向きの心を捨てなければ、安請け合いするわけじゃありませんが、なんとかなります、きっと。

青玄子

2023年8月23日 (水)

いま読む武道歌3ー余流をそしる

「兵法に余流をそしる其人は ごくい(極意)いたらぬゆゑとこそしれ」

これは柳生石舟斎の道歌です。ほかの流派を悪くいうのは極意にたっしていないからだ、愚か者め、というわけです。
修行の足りない生半可の武芸者は自流が一番だと思い、他流派の剣術を見ると、ここが違う、あそこが違う、だめだなあの流派は、という思いになることが多かったんでしょう。しかし、自流を極めれば(極意に達すれば)見方が深まり、他流のよって立つ剣理が理解できるようになるので、なるほどそういう技かと、良し悪しの批判ではなく、自流との違いを認めることができるようになる。田宮流の窪田清音も著作の中で、他流を批判してはならない他流には他流の剣理がある、と諭しています。
最近は、ネット上で他人のしくじりや失言などを誹謗する人たちが多いようです。そういう人たちはいまの自分の正しさに自信があって他人(余流)をそしるんでしょうね。いま他人のしくじりをそしる人たちもこの先いろいろ成功失敗をかさねてゆけば自分とは違う考え方、生き方を理解できるようになり、他人にたいする見方が変わってくると思うのですが。
テレビを見ていて、ときどきテレビ相手に、そりゃ違う、こうだよ、あうだよとつい口にすることがあるんですが、たいがい妻に「知ったかぶり、うるさい」ととがめられます。まだまだ「ごくい(極意)いたらぬゆえ」ですね。

青玄子

2023年8月16日 (水)

いま読む武道歌2ー里ちかくなりにけり

「中々に猶(なお)里ちかくなりにけり 余りに山のおくをたづねて」

この道歌は柳生石舟斎の「当流習目録」に収録されているものです。里を旅立ち山に入りどんどん奥に進んでいったら、なんと里に戻ってきていたと詠っています。兵法は刀の握り方も振り方もなにも知らない無心にはじまり、ああしようこうしようと心悩ませて厳しい稽古を重ねた果てに、会得した技を無心でつかえるようになる、これが極意の境地であるとしています。会得した技を慢心からひけらかすようでは極意にはいたれないということでしょう。
清水寺の貫主を務めた大西良慶師の言葉に「平凡から非凡になるのは、努力さえすればある程度の所まで行ける、それから再び平凡に戻るのが、むずかしい」というのがあります。人生、なにごとにおいても登りつめたあとが難しいよと指摘しています。人は成功すると、つい「おれがここにいる」という慢心が捨てられなくなるからでしょう。
たしかにそうかも知れません。人間、努力して登りつめると、周りがそうするのかもしれませんが、その高みから降りられなくなる人が多い。たとえば小子が属していた経済界であれば、会社の社長になると、つぎは会長になり、さらに名誉会長になり、最後は終身相談役になるという具合。高い地位に登りつめた人の多くは山の奥に進むばかりでふもとに降りる算段をしたがらない。道標があっても無視するのでしょう。ですが、一流企業の社長を務め終えたあとの人生を点字の本づくりのボランティアにささげた人を小子は知っています。道標は探せばあります。ですが大西良慶師の指摘するように道標はあってもそれをさがして里に下りるのはいったん高い山道にたどりついた人には難しいのです。
大西良慶師は「再び平凡に戻るのが、むずかしい」という言葉で、あとで慢心に責められるような努力はしないほうがいいよと忠告しているようにも思えます。普通に平凡でいること、これが難しいんですね。

人間はそんなに器用じゃないから、無理をせずにふもとの里で心おだやかに居合を楽しめたら、それが一番ということですかな。

青玄子

2023年8月 9日 (水)

いま読む武道歌ー老いをゆるさぬ敵

むかしの武術家は弟子にその流派の極意なり、稽古にのぞむ姿勢なりを伝えるために、和歌=武道歌を詠んで残しています。そうした歌の中にはちょっと見方をかえれば現代に生きる私たちが大いに共感できるものが多くあります。
「兵法は年寄りし身も捨てられず 老いをゆるさぬ敵にこそあれ」
この歌は柳生家譜代の家臣である庄田喜左衛門が詠んだものです。
兵法(剣術。以下同じ)は生涯かけて修行する(道を極める)もので、歳をとったからもうやめるなぞといえないという内容で、弟子への兵法稽古にたいする戒めの言葉でしょう。生涯修行の兵法を「老いをゆるさぬ敵」と断じているところが妙味です。
現代人にとって老いをゆるさぬ敵とはどんなものがあるでしょうか。ゴルフ狂のなかにはエイジシューターになると意気込んで老いても続ける人が多いでしょうが、彼にとっては、さしずめゴルフが老いをゆるさぬ敵かもしれません。なんにせよ道楽は老いをゆるさぬ敵になるうる可能性があります。また腕に技のある職人、技術者さんたちにはその技能が老いをゆるさぬ敵でしょうし、学者、企業家、芸術家、また芸能人にもそれぞれ老いをゆるさぬ敵がいることでしょう。この敵はときに私たちを苦しめますが、内容のある暮らしを生涯つづけるための良き相棒でもあります。
さて自分はと考えると・・・・・老いをゆるさぬ敵は孫たちですかな。

青玄子

2023年6月15日 (木)

技の終わりは技の始まり

ある技を修得するためにはそれなりの教則があります。楽器であれば、教則は楽譜になります。同じように、居合では形が教則です。居合では形を稽古することにより、自流のあらゆる刀技を身につけると同時に、いくつかの技で構成されている形をひとまとまりの業として修得します。
居合では、形の稽古をつうじて、まず刀技を身につけます。刀技が身についたらつぎは、形を一つの業として修得してゆきます。ここで方向を間違える人がいます。居合とは形を見栄えよく演じることと思いはじめる人がいます。そういう人は演武のとき、不要な緩急をつけたり、無意味な間をおいたり、間近の相手を切るのにやたら切りを大きくして立派に見せたりします。これは演出であって、武術には不要なものでしょう。形をぶつぎりにし隙だらけの演武にしてしまうだけです。
一つの形は一つの業ですから一つの気、つまり初めから終わりまで実の状態で抜けるように稽古しなければなりません。気が切れれば虚になり隙が生まれます。居合の稽古では虚が入らないように一分の隙も敵に与えないように心がけましょう。不要な緩急をつけたり、無意味な間を置いたりしていては居合の稽古にならないのです。刀技がある程度身についたと思ったら、一つの技の終りを終わりとしないでつぎの技のはじめとし、技と技を気でつなぐ稽古を心がけてください。流れの良い拍子の整った美しい形が修得できると思います。
青玄子

2023年4月14日 (金)

拍子ー中山博道範士の魅力

 中山博道範士の演武をYouTubeでよく観ます。古い映像を加工しているようなので鮮明ではありませんが、魅了されます。自然で力みなく柔らかく、それでいて強靭で速い、まさに剛弱遅速の教えのお手本の演武です。
 中山博道範士の演武に魅了されるもう一つの理由。それは範士の演武から感じる拍子、リズムです。一つひとつの所作がおなじ拍子でよどみなく流れるように連続してゆく。抜きつけた刀はそこにとどまることなく同じ拍子で頭上に振りかぶられ、また同じ拍子で切り下ろされる。切り下ろされた刀はやはりとどまることなく同じ拍子で水平に血振られ同じ拍子で鞘におさまる。この一定の拍子の連続が生む躍動感あふれるリズミカルな演武に深い感動をおぼえます。この拍子を大切にする技を受け継いでいる人が今日いないのは残念なことです。
青玄子

2023年3月10日 (金)

鏡の中の自分よりはやく抜いてみなさい

鏡に向かってAさんが稽古している。樋鳴りが大きく荒い。
まるで鏡に映る自分と競っているようだ、昇段審査が頭にあるのでつい力が入りすぎるのだろうと青玄子は思った。
青玄子がAさんに声をかけた。
「気合が入っていますね。その勢いで鏡の中の自分よりはやく抜いてみなさいよ」
「えっ? 無理ですよ、先生、鏡の自分には勝てませんよ」
Aさんが汗をぬぐう。
「そうですね、鏡の中のAさんとここにいるAさんは同じですもんね、鏡に心は映りませんけど」
その言葉にAさんは心にひらめくものがあった。
――心の稽古をおろそかにしていた!
その後、Aさんの稽古は鏡に向かう時間が短くなった。
ある稽古のとき、Aさんは青玄子に小さな紙きれを見せた。そこにはこう書かれていた。
『身を忘れ抜くと思はず抜かぬとも 思はず発す稲妻の太刀』
「いまの心境です」
「一心決定しましたね。それでは・・・・・」
青玄子は余白にこう書きしるした。
『居合とはただ太刀を帯び抜いて切り 鞘に納めるだけの道なり』
青玄子はAさんの将来が楽しみになってきた。

2023年3月 1日 (水)

審査、試合に向かない形

 全剣連居合十二本の形のなかに審査、試合に向かない形が二つあります。それは三本目の「受け流し」、十二本目の「抜き打ち」です。
ほかの十本の形は、五本目「袈裟切り」の敵(切りかかろうと振りかぶった状態)、十本目「四方切り」の右前の敵(刀を抜こうとする)にやや動きはあるものの、敵は殺気を放ちながら所定の場所にいるだけで具体的な攻撃行動は起こしてこないという静的な設定で、刀法と運剣・体捌きが決められたとおりに修得できるよう作られています。ですから、これらの十本の形の演武は良否評価の対象とすることができるでしょう。
 しかし、「受け流し」と「抜き打ち」は敵が具体的に切りかかってくる動的な設定になっています。「受け流し」では敵の刀が自分の刀に当たりますし、「抜き打ち」では退いて敵に空を切らせますので、この二本の形は本来、組太刀で稽古すべき形であって、修得した刀法、運剣・体捌きなどは組太刀演武でしか表現できませんから、良否評価を独り演武の形で下すのは無理があります。まして「受け流し」はこれまでも全剣連居合講習会で所作がいくどか変更され、いまだ形の決まりが不安定です。
 動的設定の形は組太刀で稽古するか、基本的な所作を修得するために独り稽古する形にとどめるべきであって、良否を評価する審査、試合の指定技には向かないと考えます。
 青玄子

2022年10月11日 (火)

物打ちを走らす押手は、親指の差しこみで

 物打ちを走らせようとして柄をきつくにぎり、腕を強く振る人が初心者にも稽古のすすんだ人にもいます。これだと、力まかせで樋鳴りはしますが、物打ちはよく走りません。柳生家の家臣、庄田喜左衛門兵法百首にこういう道歌があります。「兵法の習いにうとき人は皆 あたらちからをつくすおろかさ」耳の痛い道歌です。
 窪田清音は手の内に締と弛があり、構えたときの手の内は「弛」であると記しています。居合の形で頭上に振りかぶったときは、静止はしませんが真っ向から切り下ろすための構えですから手の内は弛でなくてはならないでしょう。このとき柄をきつく握っていては物打ちの走る切り下ろしにはならないのです。これがまず肝心。
 頭上に振りかぶったときに手の内が「弛」であるとどうなるかというと、押手(右手)の親指と人差し指の谷間にすっぽりと柄がはまります。これは手の感覚でわかります。これが次に肝心。
 だからといって、そこで柄を握ってはならないのです。ここから押手の作用がはじまりますが、柄を握って掌で押してはならないのです。物打ちを走らせるためには握らずに中指、薬指、小指で軽く柄をつかんでおいて、親指を前方につきだす(差しこむ)のです。肘を伸ばしながら親指を前方につきだすと親指と人差し指の谷間の深いところ、親指の第二関節ちかくで強く柄を押すことができます。これが最も肝心。
 弛の状態の手の内から、引手の左手をへそ前に一気に引き下ろし、右手の親指を差しこむようにして押手を前方につきだすと、押手は鍔元近く、つまり、柄の一番先を押すことになり、物打ちに強い力が加わります。親指を差しこまないで押すと、押手は掌の手首近く(親指のつけ根近く)で押すようになりその分物打ちに加わる力が弱く、物打ちの走りがさえません。
 福井清市先生の「柄は握るのではなく爪の裏側の腹ではさめ。はさんで力を入れれば自然、親指が差しこまれて合谷が柄の峰の上にくる。指に力を入れる順番は、小指、中指、薬指である。これが手の内の働きである」という教えにはとうてい及びませんが、親指の使い方を中心としたこの手の内は、福井先生の教えをもとに物打ちが走らない人の指導用に考えた手の内のひとつで、参考になれば幸いです。
 青玄子

2022年6月 6日 (月)

切先を意識すれば運剣が整う

 抜きつけ、振りかぶり、切り下ろし、血振り、納刀。この運剣において大事なのは刀の物打ち、切先にまでも「心気」が届いていることです。つまり、刀の動きがコントロールできていることです。
 居合の稽古は形を正しく習得することであり、正しく習得するとは刀を心気の思うままにつかえるようになるということです。そうした居合剣士の演武は、故福井清市範士の言葉を借りれば「正しいものは美しい」ということになるでしょう。
 窪田清音は「運剣伝授」でこのように言っています。「刀をあげるにも打つにも切先から行うのである。しかしながら、初心者は気が鍔元にのみとどまって切先までとどかない。心を切先に留めて刀を上げ下げさせなさい。気が切先にとどいていれば刀の運びはたいてい上手くいく」。また、「剣法強弱論」ではこのようにも言っています。「初心者は手の力だけで刀を動かそうとするので気は鍔元にとどまって刀の先が重く感じて思うように動かせない。稽古を重ねてゆけば気はだんだん切先に集まるようになり、その気は刀となり刀は気となる。ここまで行けば刀はまったく自分のものになる」
 切先を意識しながら稽古する。これが大事だと思います。
 青玄子

2022年5月12日 (木)

矢を射出すようにすばやく抜く

 堀三命の「田宮流心和剣秘之巻」に、居合の抜口は「つるつると仕掛候所、矢を射出すが如し」また、「敵のしらぬように仕掛る所粉骨也」とあります。
 居合の一刀とは本来こうあるべきなのでしょう。小子は過去に速い抜きつけについて二三書いてきましたが、その要点は「腕を忘れる」ということでした。
 人は腕を使うとどうしても腕を動かす大きな筋肉である肩の三角筋をつかいがちです。そうすると肘を伸ばしきって一本の棒のようになった腕を肩を支点に動かして抜きつけるようになり、速い抜きつけはむずかしいのはもちろん、抜きつけの腕の動きが大きくなり抜きつけ所作が敵に丸見えになります。全剣連居合一本目「前」ではこのような抜きつけが多く見うけられます。
「すばやい敵に知られぬ」抜きつけとは右腕を速く動かすことではなく、右腕をできるだけ動かさない抜きつけです。それには、小田原田宮流「稲妻」でいえば、右足を踏み込んで三角ノ矩に抜きだしたあと、日常物を持つとき腕を忘れて手の感覚だけで持つように、手の内の感覚だけを残し、立ちあがる足と腰を張る力で抜き放つのです。こうすると、切先は矢が射出されるように鞘口から飛び出し、腕の動きは、肘が飛び出す刀の勢いに引かれて伸びるように見えるだけなので動きが小さく敵にはわかりにくくなります。言葉ではここまでしか語れませんが、「腕を忘れる」を念頭にこうした抜きつけを粉骨稽古されれば小子の言わんとするところが見えてくると思います。
 青玄子

2022年4月14日 (木)

大きな切り下ろし(肩甲骨が大事)

 切先がのびて敵に届くように切り下ろすためには、切り下ろしを「前後」の動き、後ろから前への動きとしてとらえることが大事です。切り下ろしを、「切る」ということで「上下」の動き、上から下への動きとしてとらえる初心者が多くいるようですが、上下の動きとしてとらえると切先が伸びず、どうしても小さな切りになってしまいます。
 そういう切り下ろしの人には、剣道の面打ちのように両の腕を胸前に伸ばして打ちこむ稽古をすすめ、切り下ろしが前後の動きになるように指導するとよいでしょう。
 この打ち込み稽古を重ねると、本人が気づかないうちに肩甲骨がよく動く(左右にひらく)ようになります。肩甲骨がひらくと腕はよくのびます。前後に大きな切りができるようになります。また、肩の動きがやわらかくなります。
 田宮流で切り下ろしを大きくするために頭上で手首を伸ばし、そのまま円運動で上下に大きく切り下ろす人がいますが、これはまったくの勘違いで、切り下ろしは肩甲骨がひらく前後に大きな切り下ろしにするべきです。
 青玄子

2022年3月17日 (木)

色に出にけり

 おもわず自分の気持ちが顔に表れるということは、日常よくあることです。ですが、剣を持って敵と相対するときに自分の気持ちが表情に出ては敵に心が読まれて勝つことはできないでしょう。
 居合の演武でも、表情をまったく変えることなく演武する人がいれば、目元、口元についつい動きの出る人がいます。面白いことに低段者では表情を変える人はほとんど見かけません。所作を間違いなく行うことで頭がいっぱいなのでしょう。表情を変える人は高段者に多いようです。所作、手の内が身につくと敵を討つ気魄への思いが勝ってくるのかもしれません。こういう思いが人によっては表情に出てしまう。
 刀に手をかけ抜きだすときにいくぞっとという表情を見せる人がいます。こうしたことで相手の気をくじく、敵意を失わせるという理論をお持ちなのでしょうが、真剣勝負にあってはかかってくるのかこないのか、その起こりを敵にわからせる仕草(色)はもっとも敵に見せてはならない仕草です。逆に言えば、われは敵のそうした仕草を見とらなければならないということになります。このことを記した歌が卜伝遺訓抄にあります――もののふの心に掛けてしるべきは 討つうたれぬの敵の色あい。
 所作の起こりが目元、口元にでるのは本人の気がつかない癖でしょう。一旦ついてしまうと病気になりなかなか直せないものです。こういう癖は、高段になればなるほど他人は注意しにくいものですから、段が進んできたらこうした病気にかからないよう気をつけましょう。
 青玄子

2022年2月20日 (日)

納刀に失敗しないために

 前回は肩、肘、手首の働きと鍔元、中ほど、切先の各納刀の関係を述べました。そこで、いずれの納刀の形でも上手に行うには肩、肘、手首は柔らかく使う必要があると申し上げましたが、この柔らかく行う方法について、他にもいろいろあるでしょうが、小子の考えをお伝えします。
 斜め血振りにしろ横血振りにしろ、肩、腕の筋肉を使います。また、血振った刀は所定の位置で止めなければなりませんから、このとき、その動作にかかわる腕の筋肉は緊張します。この緊張を解かずに納刀することはできますが、そうすると、ぎこちない固い納刀になってしまうのです。そのために納刀がうまくできなかったり、失敗する人がでてくる。
 納刀をやわらかく行うためには、血振ったあと、刀を持つに必要な最小限の力だけ腕に残してあとの筋肉は納刀動作の前に弛めるのです。その弛めたときの肩、腕の感覚は言葉では伝えにくいですが、血振り動作をせずに血振ったあとの形にただ刀を持ってみればわかります。血振ったあと、その感覚に肩、腕を一瞬戻し、納刀動作に移るのです。血振りと納刀は違う筋肉を使うでしょうからこうする必要があると思います。
 こうして肩、腕の緊張をといて納刀すれば、納刀動作はやわらかく伸びやかで失敗がなくなり、不安もなくなります。納刀に不安のある方はこの方法を稽古でためしてみてはいかがでしょう。
 青玄子

2022年2月 3日 (木)

横納刀私見

 納刀は各流派、各道場、また各人で違いがありますので、一概に申し上げることはできません。ここでは全剣連居合演武でよく見られる「横納刀」の腕の使い方について、小子の私見と田宮神剣流の納刀について福井清市範士から学んだことを記してみます。
 全剣連居合解説では「右手は鍔元近くの棟を左手の親指とまげた人さし指のくぼみにおくる」とあります。この鍔元近くの棟を鞘口におくるときの腕の使い方ですが、多くの方、とくに段位の低い稽古の浅い人は肘を張ったまま肘を曲げねじるようにして鞘口に鍔元をおくっています。小子にはこの所作がひどくぎこちなく見えるのです。脇下がすっぽり空き、肩と上腕が硬直している。もっと肩をやわらかく使ったらいいと思うのです。鞘に刀を納めることばかり考えていて腕の使い方まで気が行き届かない人が多いのでしょう。高段の方の上手な腕の使い方を学ぶ必要があります。YouTubeの活用をおすすめします。
 私見を申し上げますと、いずれの横納刀でも肩、肘、手首をやわらかく使う必要がありますが、あえて言えば、鍔元納刀(全剣連居合の納刀)は肩、中ほどの納刀は肘、切先納刀は手首を主役にします。この主役となる部位によって納刀の速さは自然変わってきます。腕を速く動かして納刀を速める必要はないでしょう。
 福井先生は「田宮神剣流の納刀は中ほどからの納刀であるが、鍔元を鞘口近くに送り、柄を引いて棟の中ほどから納める」と指導されていました。この納刀は肩と肘を柔らかく使い安定感があります。

 青玄子

2022年1月13日 (木)

業を離れて業にこそあれ

 寛政六年(1794)、念流十四世の樋口定暠が江戸城西丸で松平定信に剣の道を問われたときに「剣の道業を勤めて自ら 業を離れて業に社(こそ)あれ」と答え、賞賛されたといいます(武道歌撰集 今村嘉雄)。
「業を離れて業にこそあれ」とはどういう意味でしょうか。
 同撰集の如水流秘歌にこういう歌があり、意味理解の参考になります―「目に見つゝ心にしりて手になせば うけとりわたす間をぞうたれん」―相手の動きを見てああしようこうしようと考えて刀を操作するのでは、目⇒心⇒手と伝達する間に相手に打たれてしまう、ということでしょう。
「業を離れて業にこそあれ」という言葉の意味するところは、「業を勤め」れば、この目⇒心⇒手への伝達(これが業の仕組みそのもので、同時に相手に隙を与える間にもなる)がなくなり、戸を開けると同時に日光月光が差しこむような、なんら心の計らいのない、つまり業への執着のない自在な業(無心の剣)に達する。これが本物の剣の業である、と理解できるのではないでしょうか。樋口定暠はこの本物の業の会得をめざすのが剣術修行の道ですと答えたのだと思います。
 この域にまで達するのは小子のような凡人には夢のまた夢ですが、しかし、樋口定暠の道歌ならびに如水流の道歌は、居合修行において、ああしよう、こうしよう、強く切り下ろそう、樋鳴りをたてようなぞという雑念が生む無用な間、つまり隙のある業から離れるように稽古を積む大切さを改めて思い知らせてくれます。
 同撰集の天然理心流の道歌を参考までに―「剣術は業々わざの業のわざ あらゆるわざをしつくせ業」
 剣術も居合も、千錬万鍛の稽古、稽古ですね。

 青玄子

2021年12月23日 (木)

七本目「三方切り」が変わった?

第56回全日本居合道大会(R3/10/9東京武道館)の決勝の映像を見て驚きました。三階級の決勝進出者の「三方切り」の演武が同じ個所でほぼ同じように間のびしています。
 三方切りは、刀を抜き出しながらまず正面の敵を圧し(ここのところは平成22年6月に全剣連居合道講習会「指導要点」=印刷物=で、気攻めであるので刀をあまり抜き出さないように、とされている)、右の敵の頭上に抜き打ち、左の敵、さらに正面の敵に向き直って切り下ろす形です。圧したとはいえ正面の敵は無傷なので、圧して抑えたのちはすばやく左右の敵を討って正面の敵に備えなければなりません。現全剣連居合道委員長の草間啍壹先生が京都大会で全剣連居合十二本を模範演武された映像を拝見すればそのことがよくわかります。
 ですが、直近の全国大会で決勝に残った6人は、右の敵の頭上に抜き打った後、打った右腕をそのままにしてすでに圧したはずの正面の敵に一旦首を向けて視線を送り、そののち頭上に振りかぶって左の敵に切り下ろしています。この所作は正面の敵をふたたび圧するためか。そうであればすでに圧している。圧した状態を確認するためか。そうであれば左の敵に振り向くなかで確認できる。つまり、無用な所作です。無用なだけでなく、この所作は左の敵にすきを与える危険な所作であり、打ち込みを許してしまいます。つまり、してはならない所作でしょう。
 6人が6人ともこの所作を組みこんでいるということは、本人たちの考えではなく、どこぞの講習会でそう教えられたのだと思います。指導者はこの所作を再考する必要があると考えますが、いかがか。
 青玄子

2021年12月16日 (木)

抜き打ち稽古で肩を痛めるのは

 全剣連居合には三つの形で抜き打ちがあります。六本目「諸手突き」、七本目「三方切り」、九本目「添え手突き」。前の二本は頭部を顎まで打ちますが、九本目では右肩口から左脇腹まで打ちます。打つ距離が前の二本より長く、水平近くまで打ち下ろしますので、鞘を払って1キロ以下の軽い刀をつかっている人でも肩の関節への負担が大きい。この形の抜き打ちの稽古をつづけて何度もやると肩が重くなったり痛みが出て刀が振れなくなる人は、たぶん、抜き打つとき、肘を伸ばしきって抜きだし、そのあと手首を返し、最後は肩で打っているからでしょう。肩への負担を軽くするには、肩、肘、手首の順で関節を働かせ、とくに肘を伸ばすことで抜き打つ力を生むように工夫することをお勧めします。
 青玄子

2021年12月 9日 (木)

後ろの敵への対応

 全剣連居合六本目「諸手突き」は後ろの敵へ対応の形です。この形でははじめの敵は抜き打ちと突きで討ちますが(ここまでが居合、このあとは剣術)、続く二人は真後ろに向き直って(180度体を回転して)真っ向から切り下ろして討ちます。この二人を討つ技を連続して稽古してみて下さい。すぐに目が回ってしまいますか? それともかなり回数を重ねてもそれほど目は回りませんか?
 すぐに目が回る人は頭が体と一緒に回っていると考えられます。それでは敵を見定めずに(目付のために敵に振り向かずに)後ろの敵に切り下ろしていることになります。首を回して敵に視線を定めてから体を回して敵に向き直ると同時に切り下ろせば目は回らないでしょう。すぐに目が回る人は後ろの敵への目付ができていないことになります。この体捌きは八本目「添え手突き」でも同様です。
 青玄子

2021年11月25日 (木)

一本目「前」の振りかぶり

 全剣連居合一本目「前」の解説によると、振りかぶりの注に「振りかぶったとき、切っ先を水平より下げない」とあります。ですが、これを守れない人は多いようです。
 切っ先を水平より下げないということは、鍔元の棟と切っ先を結ぶ線が床と水平になるか、切っ先上がりになるということ。刀は反りがありますから、頭上の柄は柄頭が鍔元よりやや下がることになります。つまり、左右の拳は左が右よりやや下に位置することになります。切っ先を水平より下げないためにはこの左右の拳の位置関係を保つことが大事で、切っ先が水平より下がる人は、左右の拳が同じ高さか、左拳が上になっています。
 そのおもな原因を挙げてみましょう。
一つ目。振りかぶりのはじめにすぐに右手首を折り、薬指、小指で柄を握って振りかぶってしまう。こうすると柄頭が高くあがって立ち業の受け流しの振りかぶりのようなかたちになってしまいます。切っ先を下げないようにするには、振りかぶり動作の途中で手首を折るようにし、親指の腹、または親指と人差し指の谷で柄の鍔元近くをしっかり支えながら頭上にあげるといいでしょう。
二つ目。頭上にあげたとき、刀は水平になっていても左手をかけるのに間があくと、その間に切っ先はブランとだらしなく下がってしまいます。これを防ぐには振りかぶると同時に左手をかけなければなりません。
三つ目。振りかぶったとき、右拳が頭の天辺より後ろに行ってしまうと切っ先は水平より下がります。右拳は頭の天辺の上方に、左拳は真っ向から拳一つはなれた位置に納まると具合がいいでしょう。右拳を頭上後ろにおくりすぎないことです。
四つ目。左手をかけるとき切り下ろしを強くしようと意識して柄を頭上後方に戻してしまう。柄を後ろに戻せば切っ先は下がります。左手がかかったら無念無想で間をおくことなく切り下ろすことです。
 振りかぶりが水平にならないで悩んでいる人は、たぶん、この四つの原因のうちのどれかに当てはまるでしょう。原因が見つかったら、悪い癖が固まってしまわないうちに改善しましょう。
 青玄子

2021年10月28日 (木)

思うまいとすら思うな

 前回のブログで、振りかぶりと切り下ろしのあいだに隙が出ないためには「強く切ろうと思いなさんな」と書きましたが、「思わない」ということが実はたいへん難しいことです。
 釋澤庵の不動智の一部を紹介したブログ(2020/9/24)にこうあります。「いろいろな業をするとき、そうしようと思う心が生じなければ手も足も動かない。ところが心が生じて業をすればそこに心が留まってしまう。(中略)そうであるのに、心が留まらない人を諸道の名人というのである」。
 ということは、小子は名人の位に達することを求めていることになります。それは無茶だ、とお思いになるでしょう。ですが居合に対する認識を変えれば、そう無茶な注文でもないのです。
 今日、全日本剣道連盟に属している居合の流派はほとんどが独人稽古の形の居合です。であれば、相手(敵)のことを考えなければいいのです。仮想敵を頭に入れて稽古せよ、演じよ、とほとんどの方が指導しますが、そうするとそこに心が留まり、かえって敵を「切ろう」という思いは強くなってしまいます。
 独人稽古の居合では敵は実在しません。敵は実在しないと認識すれば、切ることに心が留まる根本原因はなくなってしまいます。
 居合は形が教える居合独自の刀法、体捌きを修得し、その修得した刀法、体捌きに心を留めることなく形を演じられるように鍛錬する武術です。敵はいないと認識しても、刀法、体捌きは存在する。そこに心が留まらないようにするにはどうしたらよいか。これが居合の真髄と思いますが、それには数を重ねて稽古する以外に工夫はありません。
 かつて北海道の奥田富蔵範士(当時教士七段)からこういう話を伺いました。勝浦の講習会に参加されたときのことと思います。
 奥田先生はどうしても自分の納刀に納得がいかず、夜の稽古で日付が替わるまでひたすら納刀の稽古を続けたそうです。そのうちに腕がしびれ手の感覚がなくなり、頭もぼーっとしてきた。そして、ほぼ無意識の状態で納刀したとき、納刀が気持ちよくすらりと決まり、そのとき、自分の納刀はこれだ!と納得したと話されました。
 奥田先生のこうやろうとも思わず、こう腕を動かそう手を使おうとも思わない納刀。この見事な納刀を小子は幾度となく札幌の稽古場で拝見させていただき、いまでも脳裏に焼き付いています。
 思うまいとすら思うな・・・・・ここまで心を空にするのは、そうできた先達がたくさんいるのですから、手、腕がしびれ頭がもうろうとするまで抜いて抜いて切って切って納めて納めれば到達できないことはないでしょう。
 青玄子

«但馬守の「エイッ」

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